西欧と異なる性慣習を浮き彫りにする - ジェンダーレスの日本史:大塚 ひかり

読前

私は以前から、江戸時代の春画に象徴される古代中国やキリスト教文化圏とも異なる日本独自の性文化に興味を持っていた。

そのため、そのことを詳しく書いてあるだろう本書を見つけて読むことにした。

日本の性観念の独自性は古代から

本書で詳解される中世までの日本社会における女性の地位と立場は、私が想定していたものよりもずっと高く、 本書で紹介されたある研究によれば、その文化の起源は古墳時代に古墳墓に埋葬されたそれぞれの遺体が生きた時代まで遡ることができるという。

この学説について、この古墳の調査は有史以前の文化だから今に残っている情報が有史以後よりも極端に少ないとは言っても、 これは本書で取り上げられた話題の中で一番面白かったと断言できる、特筆すべき非常に面白い話題だ。

私は編集者の経験もない一介の読者家だが、これについてどんなに非現実的な推測でも構わないから、 古典文学が専門であろうとは言っても著者は考えられうる全ての仮説を、このセクションに書いておくべきだったと思う。

「ワルな男も家事をする」は本当か?

本書の著者の専門分野は古典文学だ。事実、本書の殆どの章で文学作品が登場するし、もはやジェンダーに関する古典文学のブック・ガイドのように感じるセクションもある。

そのうち、私は最も疑問に思った文学を根拠とした主張があった。詳細な作品名は忘れたが、江戸時代のセクションにあった記述だ。

それは、その時代に書かれた小説の劇中で好きな女を誘拐し自らと強制的に同棲させた男が、その愛する彼女のために家事をする(手伝うだけではなく率先して取り仕切る)場面がある表現から、「この時代の男は悪人であっても家事をしていた」と当時の社会全体の文化として男の家事を一般化していた主張だ。

私はこれを所謂「ギャップ萌え」という、悪人が善いことをしてそのギャップに惚れるという、少女マンガで不良が犬を拾う例の表現の亜種のようなものではないかとその主張の正当性を訝しんだ。

私のこのギャップ萌えに訝しむ疑問に答える記述は、本書のそのセクションに存在しなかった。これでは私の疑問は残念ながら不完全燃焼に終わってしまう。

このことから、本書の著者は、古典を愛するあまり、古典の作品に全幅の信頼を置いているのではないかと思うときがある。
もし、著者の思索がもそういう理路で行われたのだとしたら、好きであることとその情報の信頼性は不可分とはいかないことなのだということを自身の思考の深くに留めてほしいと思った。

男色と児童虐待

男色という悪

伝統的な日本の性文化には、男色と呼ばれる同性愛の文化があった。
もちろんも本書もこれを取り上げており、今まで日本の自由な性文化を褒めてきた著者は、しかしこれに対しては児童の被害を引き起こしていると批判的だ。

今に残るお稚児さんの文化は、受け入れた寺の仏僧の、妻を持てない「禁欲」の代替として彼らの性のはけ口として利用された一面がある。
これの起源は大昔に遡る文化で、しかもそれが全国の寺院で行われたとなるとおびただしい数の児童が素の精神を挫かれた計算になる。

後述する「子殺し」とこの男色文化による「禁欲」の児童の静的虐待は、日本史に残していかねばならない、現代に生きる我々が知らなければならない負の歴史だと私は思った。

ジャニー喜多川のルーツは寺

私はこれで思い起こした事が、芸能事務所・ジャニーズの創業オーナーであり、同社に属した多数の児童を男性愛によって虐待した喜多川 擴(ジャニー喜多川)のルーツが仏教のお寺にあったことだ。

bunshun.jp

私はこれで思い起こした事が、芸能事務所・ジャニーズの創業オーナーであり、同社に属した多数の児童を男性愛によって虐待した喜多川 擴(ジャニー喜多川)のルーツが仏教のお寺にあったことだ。

彼はアメリカに宣教のために移住した仏僧の息子で、性犯罪の話題で邪推はするべきではないかもしれないが、古く空ある寺の男色文化が、彼の児童への性的虐待の異様な執着に影響されたのではないかと、私は訝しんだ。

もし、私が考えたこの仮説が本当であるならば、日本の仏教の悪しき慣習が今も根を張って児童を被害を強いていることになり、 我々日本人はカトリックを改革の圧力によって変えた同宗教の信者のように、仏教の性犯罪を調査してノーを突きつけねばならないと思った。

自由な性文化に隠された子殺しという「恥ずべき」悪習

本書の著者は、自由で多様性に溢れるように見える日本の明治以前の性的価値観にも、現代の人権の感覚に著しく反した悪しき文化があると指摘する。

それは赤ん坊を、その親が育てることができないと無責任にゴミのように命という尊いものを捨ててしまう、いわゆる「子殺し」と呼ばれる行為の文化だ。

戦国時代に来日したキリスト教宣教師の記録によると、この子殺しは現代にも名残がある男色などと同様に日本の社会全体に浸透し、その行いが日常と化していた『恥ずべき』慣習だというから驚きだ。

この慣習について私が現代日本に尾が引いた影響として思い起こすのは、あの弱者の人生を徹底的に破壊した戦後最悪の悪法の一つである旧優生保護法の不妊手術を扱った条項のことである。

私が感じた両者の共通点としては、社会で一番声を上げづらく、また社会にとって無かったことにしたい命が問題の中核にあり、それらは性観念に関わることだった、という三点がその主な理由となる。

その不妊手術が行われていた当時は、カトリック教会などのキリスト教の一部宗派のコミュニティのみが日本でこの人権侵害を非難していたといわれている。

つまり、法が施行された当時の日本に元来ある価値観によって、あの数多の人を不幸に追いやった法を責める者は皆無に等しかったということだ。

この悪法による数多の悲劇は、「子殺し」という日本の伝統的慣習の延長線上にあった、暗い歴史をいつまでも認識せずに引きずってしまったことによって起こった悲劇なのかもしれないと私は思った。

関連図書

同書の感想を探しているうちに見つけた、本書と関連がありそうな本を下記の一覧にリストアップしました。私にとって、これらの本は全て未読です。

www.iwanami.co.jp

www.shueisha-int.co.jp

www.kashiwashobo.co.jp

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